vol.2 氷見の海岸沿いにある「魚取社」の話

大漁をもたらす神を祀る「魚取社」

氷見の海岸部には、「魚取社(なとりしゃ)」という名前の神社が10社ほど点在しています。松本魚問屋の本社がある地蔵町にも「須々能神社」という魚取社があり、昔から親しまれてきました。

氷見市立博物館の資料によると、「魚取社」はえびす様を祀る神社。文字からも連想できる通り、もともとは大漁をもたらす神、海上安全の守り神として、漁業関係者に信仰されてきました。それがのちに商家や農家にも受入れられ、商売の守り神としても浸透していったそうです。

漁業が盛んな氷見に「魚取社」が多いのは納得がいきますが、どうして富山県内でも新湊や魚津ではなく、氷見の沿岸部に集中しているのでしょうか。

また、石川県珠洲市には「須須神社」という、地蔵町の「須々能神社」に似た名前の神社がありますが、何か関係があるのでしょうか。

その2つの疑問をもとに、ルーツを調べてみることにしました。

魚取の神は、珠洲の神で、美保の神

まず、射水市の放生津八幡宮に、境外末社として「魚取社」があると聞き、何かヒントがないかと伺ってみました。すると「魚取社の御由来」と書かれた看板が建っていました。冒頭に書かれていた言葉を紹介します。

古老伝説に「御祖神は海からやって来られる。その時、能登から風が吹く。」があります。魚取の神は、珠洲の神で、美保の神とも言われます。珠洲には、大国主命と奴奈川姫命との間に生まれた御穂須須美命が祀られ、「出雲国風土記」には、美保の地名は、御穂須須美命に由来すると伝わります。また、出雲の美保神社には、事代主神が祀られています。

※許可をとって文章を掲載しています。

少し解説すると、「出雲の美保神社」とは、全国に3,000以上あるえびす様(=看板の文中にある事代主命)の総本宮です。氷見に点在する「魚取社」のルーツは、珠洲、そして出雲にあるのは間違いなさそうです。

能登から越中への出雲信仰の広がり

そのルーツを確証づけるかのように、「出雲を原郷とする人たち」という本には、能登から越中への出雲信仰の広がりについて紹介されていました。そのなかの高岡の気多神社についての紹介を抜粋します。

(高岡の越中式内社・気多神社は、)

能登(羽咋)のオオナムチと越後(糸魚川)のヌナカワヒメを結ぶかのように、この二神を祭る。越中氷見の海岸近くには、両神の御子神ミホススミを祭る須々能神社もある。

「出雲を原郷とする人たち」より

さらに、氷見市立博物館に収蔵されている、江戸後期の『応響雑記』(※1)にはこう書かれていました。

天保9(1838)年閏4月、不漁のため漁村の住民が談合し、能登の三崎権現(須須神)へ祈祷に出向いた。

※1 応響雑記 …氷見町の町役人を歴任した田中屋権右衛門が、33年間にわたって書き綴った日記

文中にある三崎権現(須須神)とは、まさに「須須神社」のことなのです。

参拝者が帰船した日から大漁となり、町が繁栄したため、同年5月、沖合の唐島(氷見漁港から300mの沖合にある濃い緑に覆われた島)に能登の三崎権現(須須神)を勧請して祀ったのが、このあたりの「御穂須須美命(ミホススミ)」信仰の始まりと言われているそうです。

最初に予想していた通り、地蔵町の「須々能神社」は、やはり珠洲の「須須神社」にルーツがあるだろうとわかります。そして、どちらも「御穂須須美命(ミホススミ)」が社名の由来となっていると考えられます。

ちなみに、珠洲市という地名の由来もいくつかの説がありますが、「御穂須須美命(ミホススミ)」が祀られているから、という一説もあるそうです。

また、同じ漁業の町でも、富山県内で氷見に「魚取社」が多いのは、純粋に能登から広がっていったからだと考えられるのではないでしょうか。

魚を引き寄せて大漁をもたらす「松」

余談ですが、射水市の放生津八幡宮の看板には、このような言葉もありました。

松の古木は神霊の依り代として大切にされ、(奈呉の)砂浜には松林があったと言われます。〜中略〜 松は、魚寄せ松とも言われ、魚を引き寄せて大漁をもたらすと信じられてきました。実際、明治40年(1907)と41年(1908)に、当時の漁業協同組合が、東浜納屋地に約3万本の松の苗を魚附林として植樹しています。

氷見市の窪から柳田、そして高岡市の島尾にかけての砂浜にも松林があり「松田江の長浜」と呼ばれています。氷見の漁師たちも、松田江の松に、大漁を願っていたかもしれません。

私たちも社名に「松」と宿していることにも、どこか縁のようなものを感じました。魚寄せ松のように、魚を引き寄せて大漁をもたらすような存在になれたらと思います。

まとめ

ほかにも「魚取社」を調べている過程で、いろいろな新しい発見がありました。氷見に伝わってきたのは江戸時代で、この頃から氷見の漁業も盛んであったことがわかりますね。

氷見のあちこちにある「魚取社」。みなさんも氷見でドライブや散策をしていると、見かけることがあると思います。ぜひこの長い歴史に思いを馳せ、氷見の漁業の繁栄を願っていただけたらと思います。